私の在宅医療(第2回 私が育ってきた時代と地域)

2017年のワーキングセミナーでの白川医師の講演、第2回です。


私の我流でやって来た医療=在宅医療についての紹介をさせていただきます。私は学生時代から医療を志していたわけではありません。その前史がありまして、実は私の父親は私が生まれて半年後の1950年8月に町工場の仕事中の事故で、高位腰椎損傷で下半身不随になりました。

その当時の病院というのは、労災制度が確立されていない時代だったのです。私が歩きはじめたのが病院の中だったと聞いています。物心がつきだしたのが3歳ぐらいですね。一番小さい頃の記憶に残っているのが病院の中でした。何となく覚えているのですが、そういう世界の中で育って、その後学校へ行きだしてからもそうですが、「先生といわれる商売だけには絶対就かないでおこう」と小さい頃から固く誓って生きてきたのです。「先生」と呼ばれる人たちに胡散臭さを感じていたからです。

しかしどういう因果か、結果的に「先生」になってしまいました。その頃、何が問題だったかというと、労災制度もない、介護保険制度もない、何もない、車いすもなかった時代です。今のホイールチェアーというようなものは、どこかにあったのでしょうが、普通に患者さんが使える状態ではなく、病院の中にもそれほど配置されている状態ではなかったです。私が小学校の高学年の頃に初めて身体障害者に対して車いすが支給されました。重たい鉄製の押すにも重たいものでした。そういう時代でした。

労災制度がなかったので、私たちの生活を支えるために父親、母親が和裁=着物を縫っての賃金で育ててもらいました。当然座り仕事です。下半身麻痺の人が座って、体重がかかる状態で仕立て仕事をするわけですから、床ずれが仙骨部や尾骨の所にできているわけです。その当時も近所のお医者さんも往診してくれていましたが、毎日の処置は実際は今と一緒ですよ。家で洗って、ガーゼを当ててということをやっていたのです。

そうした中で入浴が一番大変だったわけです。家に風呂はあったのですが、皆さんも介護をしていてわかると思うのですが、家庭用の浴槽を下半身麻痺の人はまたげません。小さい家庭用の風呂に入って、洗って、出るという作業を家族介助ではできません。私も小さかったので力がありません。すると近所のお風呂屋さんが聞きつけて、開店前に浴場を開放してくれました。母親が介護して入らなければならないし、洗わなければならないので、男風呂にしても女風呂にしても開店後にはできないわけです。

そこで近所のお風呂屋さん、銭湯ですよ、午後3時頃に開くのですが、そのちょっと前にいつも入れてくれました。オープン前です。普通褥瘡もあるし、いろいろあるでしょう。そういう人を一番風呂に入れたら、風呂屋さんとしたら商売に関わるわけですよ。要するに汚れているかも知れない人を入れるわけですから。その後に来る客は嫌がるかも知れない。そういう状態でも入れてくれました。

そこに風呂屋の隣の米屋の兄ちゃんが「おばちゃん大変やろ」と言って助けに来てくれたりしました。そういう在宅生活が私の中には染みついています。制度の何もない中でも、地域の人たちのそういう支えで家族は生活できたし、そういう街のなかで私は成長することができたのです。

第3回に続きます。

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