私の在宅医療(第6回 白川流の在宅の心得)

私の在宅医療講演⑥

好き勝手なことです、これも。たわいもないことかもしれませんが、思いを書いています。「患者さんの立場に立って」というのは聞き飽きたと。そんなお題目はどこでも言っています。今はホームページや病院案内に「患者さんの立場に立った医療」というお題目を書いていない医療機関はほとんどありません。「患者さんの立場に立たない医療をやります。先端医療を行います」なんて書いている医療機関はどこもありません。そういうのは聞き飽きました。

実際、私は先程も自分の生い立ちの例を出しましたが、そんな経験をしてきたからといって、今現実に在宅で苦しんでおられる方の立場にすんなり立てるわけではありません。現実の苦しさは当事者にしか到底わかりません。

患者さんの立場に立とうとすることとは

「患者さんの立場に立とうとする」ことはできても、「立つ」ことはできません。それを「患者さんの立場に立って医療をしている」というのはおこがましいし、傲慢です。それは言うべきことではないと私は思っています。あえてきつい言い方をすると。本当に「患者さんの立場に立つ」ことを真剣に考えたら、そう安易には言えないものなのです。

簡単に患者さんの立場には立てない。自分の生活もあるし、家族との時間もあるのです。患者さんが夜の11時に「ちょっとおなかが痛い」と電話してきたら、すぐ行ってあげられますか?患者さんは不安だし医者や看護師に来てほしいのです。だけど「明日まで様子を見てくれませんか?」となってしまうこともあります。常に葛藤があるのが現実です。患者さんの気持ちはわかっても対応しきれない罪悪感にさいなまれる日々もあります。

こんな現場の葛藤・ジレンマをよそに「在宅支援」をうたって訪問診療して管理料まで取っていながら、夜間休日臨時訪問体制も整備せず、介護や看護スタッフが電話で要請しても「検査できないから病院に来なさい」「来ない限りわからない」と患者を「呼びつける医療」をやっている病院もあります。それでも「患者の立場に立った医療」と看板を掲げて威張っている。看板は掲げても内実は医療点数稼ぎの偽物がわがもの顔に威張ってでたらめをやって、患者家族とスタッフに我慢と犠牲を強いているのも在宅診療の一面です。

在宅医療の真髄は医者であれ看護師であれ、動きやすいものから動く」ことにあります。

患者さんの立場に立って…ということは実際、現実との乖離の中であまり簡単には言えないと私は最近思うようになっています。「そういうことは無理やな」と、ようやくこの数年で気がついた。あまり言いたくないし、言わないでおこうと思いました。

こんな在宅チームをつくりたい

「患者さんの悩み、心配、苦しみ」そういったことは実際に患者さんに聞かないとわからないし、聞いてもわからないことがあります。診てみないとわからないし、診てもわからないことが多いし。やってみないとわからない。それでも、やっていく中でいろんなこととぶち当たり、ぶち当たりながらやっていく、それをかかわる人々すべてと共にやっていけるかどうかが最大のポイントかなと、自分なりに思っています。

そういう中でも、私はしばしば、患者さんや家族さんや、それに関わる看護師さんたちに「在宅の原則」と強引に言って、かなりの部分で「医者の権限」を横暴に行使することがあります、自分の意見を通すために。

それは正しくなくて、お互いに「やりたいようにやる」ということがいいと思うのです。患者さんも家族さんもスタッフの人も、思いの丈をぶつけて「自分はこうしたいんや」と、それに対して医者として自分はこうしかできないし、こう思っているということを真正面からぶつけ合って行くという関係ができれば、一番いいチームができていくんじゃないかなと今思っています。そういうチームを作っていかなければと思っています。

患者さん・ご家族との距離感とは

いろいろ今までの人生の中で、医者としての仕事の中で、私の場合は何度も患者さんやご家族との距離が近過ぎる近寄りすぎるという厳しい批判を何度も受けたことがあります。そのことによって大きな失敗を幾度かしています。

だけど今ふりかえってみて、自分流のやり方というのはこれしかないと思うのです。自分が患者さんと向き合う時に、遠い距離を置いて客観的に適切な判断をする力もないし、気持ちの面では患者さんとの距離をできるだけ近く置くというのが自分のやり方だなと、それしかないなと思うのです。

ただ、それを皆に強制するのではなく、そういうスタイルの人もいるし、多様性があっていいと思うのです。自分にはそうしたやり方しかないなと思ってやって来ました。やって来た結果が、今在宅に関して、訪問診療に関しては高槻の中ではかなり多くの患者さんを診ることができている。

看取りも多くて、ちょっと身体もバテバテ(頭はとっくにバテているけれども)なんですが、それはそれなりのやり方でやっています。そんなわがままな医者の元で一緒にやっていってくれる患者さんやスタッフの方がいるというのは幸せやなと思っています。自分にはそのやり方しかない。それも一理あると皆さんに思っていただければありがたいと思っています。

悔いが残らないようにすることとは

もう一つの注意点ですが、私は患者さんとの距離を近くとるので、患者さんの意向だけに沿っていることが多くなりがちです。そうすると、残されたご家族に悔いが残る場合があります。

患者さんから「絶対自分は治療してほしくない。点滴も要らない。何もして要らない。自分はそのつもりでいるからそうしてください先生!」と言われると、自分の考えにも近いし、そういう方針で臨む時もしばしばあります。

しかしそうした場合、残されたご家族にとっては「もう少しお父さん、お母さんにこういうことをしてあげたかった、やってあげたかった」。例えば、ガンだったら「抗ガン剤を使ってほしかった」「使っていたらこうなっていなかっただろうか?」と治療方針についての悔いが残る場合があります。

ご遺族にとって、残された人は人生をまだ生きていかなければならないのです。亡くなられた人は、亡くなってしまうわけですから、自分の方針で臨めば悔いは残らないでしょう。しかし、やっぱり残されるご遺族にとって、悔いが残ってしまうわけです。だから患者さんの意向も聞くけれども、ご家族さんの意向を十分聞いて、バランスをとっていく姿勢が必要になってきます。

患者さんの意向を聞いて、誠心誠意医療に勤めていればいい医者かといったらそうでもないということをこの数年間で知りました。

そのバランスを取ることは難しいけれど、能力もないのにやっていくしかないのです。医療に関しては、自分が裁判官みたいなもので、「治療するかしないかといった問題」になったら、患者さんは「治療して要らない」家族さんは「できる限りの治療を」と望まれた時、どっちにするかといったら、結局委ねられた私たち医者が勝手に決めるしかないわけです。

そんな問題を判断できる能力もないのに決めなければならないという重圧があるのです。しかし、その中で気づかされたことは、やはり患者さんを説得してでも、残されたご遺族に悔いの残らないように、患者さんにも納得のいくように、ちゃんと話をして、できるだけ悔いが残らないような方法を選ばなければならないということです。

患者さんやご家族に無理を押しつけない

もう一つは、理念と行動が矛盾するということもあります。人間、理念だけでは生きていけません。しんどいことはやりたくないのです。それはスタッフもそうだし、患者さんやご家族もそうです。悔いの問題と裏腹になりますが、やりたくないというのは皆同じです。だから患者さんやご家族に無理を押しつけない。という姿勢が大切です。

ただ、私がご家族に対して言っているのは、「今ここでしんどいと音を上げたら、あとで悔いが残るかもしれませんよ」という言葉です。ちょっと冷酷な言い方ですが、「お父さん、お母さんの寿命はそんなに長くはないですよ。今ちょっとしんどくても頑張っておいた方が悔いが残らないのではないですか?」と話をします。

だけど、その時には決して正義の味方みたいにふるまって、偉そうに「お父さん、お母さんのためだから、あなたもしんどくても頑張りなさい」というような言い方はやるべきではありません。そんな「正義の味方」は、やりたくないし、やってはいけない。

それはスタッフに対しても同じだと思います。各々の生活や違った環境があります。チームとして一緒になってやっていくためには、それをどういうふうにして克服していくのかということを常に考えていくことです。これだという答えはないのですが、「一人ひとりが自分たちの置かれた立場でできることを黙々とやり続けるということ」「それがチームづくりの基本」というのが私の今持っている結論です。「やりたいようにやる。ただ黙々とやり続ける」ということだと思います。

患者さんやご家族、スタッフがいろいろと考えてやったことはすべて正しい

最期にこれも大切なことですが、「悔いを残さない」ということと同時に、「患者さんやご家族、スタッフがいろいろと考えてやったことはすべて正しい」という立場に立つということです。

よくあることなのですが、遠い親戚が出てきて、この治療はどうのこうのと言ったり、言われた言葉によって家族さんの心が千々に乱されて、「あのときこうするべきだった」と悩んだり、スタッフも「言われてみるとそうだったのかな?」と落ち込んだりさせられます。しかし、そんなことはない。「自分たちが考え抜いてやって来た行動はすべて正しい」、そう言い切る立場が必要です。

強い思いを持って臨んだらいい。実際は間違っていることもあるかもしれませんが、そういう時は反省するしかないのです。とにかく患者さんと向き合っている時は、そういう決意と信念を持ってやるということがいいんじゃないかと思っています。

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